文 yoshii ・写真 三好祐司
古物市の語源ご存じでしたか、?
よく耳にする蚤の市は
もともとは 19世紀末頃から
パリのモンマルトル地区のポルト・ド・クリニャンクールにある
中古品の市でつかわれるようになった名称で
蚤がついてるような古物を売るというところから この名前がついたそうです。
1800年代のモンマルトル行ってみたいですね、
蚤がついてるようなそんな物でもお宝に感じてしまいます。
古物大好きな方でしたら 日本全国にある様々な骨董市
きっと足繁く通う お薦めの市がおありでしょうね、
今回お話しさせて頂く 世田谷ボロ市 私が初めて行ったのは25年位前
まだ 今のように古物に魅せられる前 独身時代たまたま近くで一人暮らしをしたのが
きっかけでした。
骨董市というもの自体初めての経験でしたから それはそれは驚きからのスタートでした。
この世田谷ボロ市 ボロ市の語源は そのままのボロが沢山出回る事からのようですが、
もともとは16世紀 世田谷城下 宿場 世田谷宿に賑わいをもたらす目的があったとされ
多くの人が集まる楽市が成り立ちました。その後歴史が動き 秀吉により北条氏が没落し
その家臣であった吉良氏の世田谷城も廃止になり、その賑わいも薄れかけたそうなのですが、
農具の売買などの需要によって その後 形を変えつつも市が成り立ち、多くの方に支えられて
今日に至っています。
世田谷ボロ市保存会(地元町会・商店会を中心に結成)主催
毎年 1月15、16日 12月15日、16日
通称ボロ市通りと言われる 代官屋敷前の通りを中心にここが約500メートル位だそうですから
1キロ位を使用しているでしょうか、最近は700店あまりの露店
最盛期には2000店ほど あったそうなので 今以上に賑わいがあったのでしょうね、
代官屋敷内にある 世田谷区立郷土資料館
当時の様子が再現されています、こんな感じだったんですね
この郷土資料館には世田谷の歴史が展示され
代官屋敷 表門と建物の一部は重要文化財として保存されています。
世田谷の地図から 豪徳寺スタジオもみつけましたよ、私の独身時代のアパートもありました。
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今回 12月16日と1月16日と二日間 出掛けて来ましたが
12月は風が物凄く強くて お店の方が気の毒な位でしたが 先日は割と過ごしやすく
ぶらり歩くのにはちょうど良い一日でした。
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代官屋敷表門前 11時には恒例のくす玉割りを見て
今回 カメラマンみよさんとここらのスタートです。
お目当ては着物 それから撮影小道具
古いアクセサリー、 アクセサリーなんて山ほどあるんですが、
見てしまうといくらでも欲しくなります。
クラシカル撮影会がしたくてしょうがなくなりますから、、企画しましょうね。
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農具や野良着のボロの売買がスタートだけあったせいか、
農工具の販売は他の骨董市より多いような気がするのですが、
みよさんは 鋸を購入。
以前お話しさせて頂いたのですが、彼は古民家暮らしを楽しんでいらっしゃいますからね、
この日も素敵な出で立ちでかなり目立っておいででした。
さて今回の出会いの品・・・
シルクハットにステッキに (ステッキはみよさんにプレゼント)
着物にバックに その他もろもろ 沢山ありますが
以前から欲しかった帆船の模型。 ちょうど良いのを見つけましたよ、
小ぶりですが 男の子の撮影にきっとちょうど良いでしょうね、
座間スタジオ二階の男の子空間に置きたいと思います。
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それから もう一つ 鈴パーツ
この音色は癒しをもたらしてくれるので 撮影中なるべく身に着けるようにしているのですが、
いくつか持ち帰ったので 首からぶら下げる物を作ってみたいと思います。
この古物を物色している時の感覚・・
海辺で貝を拾っている時に似ています・・
止まらずにずっとずっと 続いているような・・今回も両手いっぱいになりながら
そう、ピアノのおもちゃがあったのを持ち帰らなかった事に今後悔しています。
世田谷ボロ市 また12月まで この楽しみはお預けです。
まだ 未体験な方
一度は行ってみて下さいな、人に交わる感覚
それすらも特別ですから